「貰い物だが食べるか?」
並べられた小さな砂糖饅頭に眼を輝かせたのも束の間、牧之介は顔を曇らせ首を横に振った。
「…いや、いい。気持ちだけ受け取っておく」
そう言って茶を啜るが、僅かに顔を顰めて湯呑みを置いた。薄皮に粒餡が包まれた饅頭は、こいつの好物だった筈だが。
「具合でも悪いのか」
四半刻前、忍術学園に訪れた際の様子を思い出す限りではそのような素振りは無かった。内心で小首を傾げていると、何やら口をもごつかせていた牧之介が微かに息を吐いた。
「…………口内炎なんだ」
「口内炎?」
予想だにしなかった答えに、思わず同じ言葉を繰り返してしまう。
ああ、と頷いた牧之介は自身の右頬を指し示した。
「数日前に噛んでから此処にできたんだが、ただ腫れるだけならまだしも変な噛み癖がついたのか、同じ所を何度も噛むんだ」
治りそうになっては再び噛んでしまうので、舌で触る限りでは、かなり大きくなってしまっていた。何か食べる度に繰り返し、飯にありつけても口内は血の味になる。挙げ句の果てには水まで沁みるのだ。これでは折角の茶菓子も味わえん。
そう説明した牧之介に、暫し待っているように告げて部屋を後にした。
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「何で出ていったんだ……?」
やにわに教員長屋を出ていった新左ヱ門に、首を捻りたくなった。訳がわからん、と呟く。
私の説明が悪かったのだろうか。舌先で確認するように件の場所に触るも、すぐに鋭い痛みが走り、低く呻いてしまう。見えないから確かでは無いが、赤く腫れ上がっていることだろう。
単に痛むだけであれば、放っておけば治るのだが、今回ばかりはそう簡単に済みそうにない。現に、団子を食べようが饂飩を食べようが、頬の内側を噛んでしまうせいで、すぐに鉄錆の味になって閉口していた。自分の血の味なんぞ、好き好んで知りたい奴もいないだろう。…食える時に食っておいた方が良いのだがなぁ。
遠くから届く忍たま達の喧騒を聞き流していると、見知った気配が近づいてきた。
「すまない、待たせた」
「そんなに待ってないから大丈夫だ」
戻ってきた新左ヱ門の手には、二枚貝と手拭いが握られている。何故か膝先を突き合わせて座り、貝殻を開いてみせた。
「うわぁ」
中には真っ黒な粘性の物質が入っていた。何かを練ったようなそれは、お世辞にも身体に良さそうに見えない。
「ほら、口開けろ」
「は!?」
新左ヱ門とその謎の物質を交互に見る。
「えっ、何で、というか何だそれ」
「茄子の蔕の黒焼きだが」
戸惑う私を余所に、黒々とした薬?を指で掬う。
「新野先生から頂戴してきた。何でも、歯痛や口内炎など口腔内の炎症に効くそうだ」
はあ、と気のない返事をしてしまった。色が凄すぎて何も頭に入ってこない。
「絶対不味いだろ」
「食うな」
炭より黒いそれを指先につけたままの新左ヱ門に顎を掴まれ、顔を上向きにされる。何をしようとしているのか一瞬で合点がいき、慌てて拘束から逃れようと藻掻いた。優しさの方向性が予想外すぎやしないか。
「いや、いい! 自分でやるから!」
「自分でだと見えぬだろう。私が塗った方が早い」
「そりゃそうだろうが、ッ…」
「手なら先程洗ってきたぞ」
「そういう問題じゃ、」
仰け反るように動いて逃げようと試みるが、顎の手がそれを許してくれそうにない。というか、頬に手が食い込んでいるのだが。力強いなこいつ。
「……埒があかぬ」
やや低い声が聞こえたと思えば、唇の隙間から強引に指がねじ込まれて、已む無く口を開ける。薬を塗って貰うのを承諾したわけでは無いが、戸部ちゃんの指を傷つけるよりずっと良い。
「これを良く耐えていたな…」
そんなに酷いのか視線で訊ねれば、首肯が返ってきた。自分で思っていたよりも悪化していたらしい。眉根を寄せた新左ヱ門の節くれ立った指が頬の内側へと滑り、次いでぬるりとした冷たい物が患部に塗られる。ぴりぴりすると言えば良いのか、じくじくすると言えば良いのかわからない痛みが広がり、口を閉じてしまいたくなるのを耐えた。殊更に丁寧に塗りこまれ、羞恥と痛みの両方で顔が熱くなる。早く終わってほしいと思うのに、新左ヱ門の動作は酷く緩慢で、それがまたもどかしい。口内を傷つけないように慮ってくれているのだろうが、こちらとしては面映ゆくて仕方がなかった。
(一度言い出したら聞かない、なんて戸部ちゃんは俺に言うけれど……お前も相当じゃないか)