椛をなぞる

──ジリリリリリ!!
 耳を劈くような目覚ましの音が鳴り響いた。
 蒲団から腕だけを出し、枕元にある時計を叩く。弾けるような音が止まり、部屋に静寂が戻った。
 「……十時か」
 のそのそと気怠い身体を動かしてベッドから這い出る。寝過ごしてしまった時の最後通牒の残響が頭に響いている。
 カーテンを開けると秋の柔らかな陽射しが差し込んだ。窓から見える樹々はその衣をすっかり鮮やかな赤と黄色に染めている。

 昔から朝はいまいち調子が出ないが、いくら眠ったのが遅かったといえど、流石に寝すぎてしまったな。新左ヱ門みたいに寝起きが良いタイプなら良かったのだが。
 そういえば、あいつは確か今日から取材旅行だった。昨日家に泊まっていったから朝早くに出発したはずだ。寝てたから覚えてないけど。

 欠伸をしつつ洗面所へと向かう。今日は後で人と会う用事があるんだった。仕事ってめんどくさい。

 顔を洗って鏡を見ると、首にはしっかりと歯型が残っていた。
 「何かヒリヒリすると思ったらこれか……」
 相変わらず痕の付け方が容赦ないんだよなあ。
 そのまま首元の布地を引っ張れば、点々と続く吸い痕も見えた。
「うわ」
 これ何処まであるんだ。
 気になって寝間着代わりのシャツを脱ぐと、胸にまで噛み痕と吸い痕が付いていた。
 抱き方は男の時よりも手加減してくれるようになったのに、これだけは変わんねぇのかよ…。と言うか、これ寝てる間につけたな、あいつ。

 朱い刻印のようなそれを眺めていると、急に昨夜の記憶が蘇り、思わず呻き声を上げた。顔が熱くてどうにかなりそうだ。
 「……取り敢えずパーカー探そう」
 ぎりぎり首元は隠れるだろう。まだマフラーは早いし。今日の打ち合わせも一時間程度の予定だし、何とかなるだろう。
 帰ってきたら絶対に文句言ってやる。

✾✾✾✾✾✾

 流しっぱなしにしていたシャワーを止める。備えつけの鏡には、水滴と共に消えそうな朱がいくつも映っていた。
 新左ヱ門が取材に行ってから、もう三日になる。帰ってくるのは確か二日後のはずだ。

 ぼんやりと首元から胸にかけて何度かなぞった後、ふと思い立って、随分と薄くなってきたそれを強めに抓った。
 周辺の皮膚が少し赤みを帯び、淡くなっていた情交の痕は僅かばかり紅の色を取り戻す。
 「私も恥ずかしいやつになったな……」
 己の女々しさにうんざりする。いや、女々しいも何も今は女なんだが。

 ……断じて無くなるのが寂しいとか、そういうわけじゃない。これだけついていると、消えるのが勿体なくなってきただけだ。

 「お土産買ってきてくれると良いなぁ」
 誤魔化すように放った声は、一人きりの浴室によく響いた。

(2025/01/23 改訂)

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